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奥村土牛の買取は愛知名古屋の永寿堂へ
奥村土牛のタイトル

奥村土牛の絵画や掛軸を売りたいとお考えであれば高価買取させて頂きます、電話やメールなどでお気軽にご相談下さい。こちらの記事では奥村土牛の略歴や買取相場や高く売るポイントなどもご紹介しておりますので売却や購入の際のお役立ちになれば幸いです。

 

【目次】
1.奥村土牛について
 a.奥村土牛の主な略歴
 b.奥村土牛の作風
2.奥村土牛の代表作
3.奥村土牛の買取相場
4.奥村土牛作品を高く売るためのポイント
 奥村土牛の買取でよくある質問
5.奥村土牛の絵画や掛軸の買取りは永寿堂におまかせ下さい

 

奥村土牛について

奥村土牛(おくむらとぎゅう)は大正から平成にかけて活躍し、文化勲章の受賞や東京名誉都民の称号も贈られた戦後を代表する日本画家の1人です。風景画を得意とした奥村土牛は、師である梶田半古や小林古径の教えを守り、写生を重視した作品を作り上げました。

奥村土牛の作品は最高級の賛辞を贈られる傑作揃いです。100回以上塗り重ねて仕上げられる風景画は、格調高く完成度が高いといわれています。なかでも皇居所蔵の「富士」は、国賓の訪問時に回廊に飾られる絵としても知られています。

日本画家の梶田半古に入門し、2年後には東京勧業博覧会で入選を果たしますが、一度絵画を離れ、逓信省貯金局統計課へ勤務しました。しかし、梶田半古の没後、小林古径に再度師事し住み込みで指導を受け、1927年の再興第14回院展でも入選を果たします。

多くの作品を生み出すかたわら、帝国美術学校や日本美術学校などで教鞭を取り、1978年からは日本美術院理事長にも任じられました。1990年には長野県八千穂村(現・佐久穂町)に奥村土牛記念美術館が開館。その4ヵ月後、奥村土牛は101歳で逝去しました。

奥村土牛記念美術館の所蔵作品はすべて奥村本人の寄贈によるもので、年3回の展示替えを行っています。2019年には東京都の山種美術館にて「生誕130年記念 奥村土牛」展が開催されるなど、死去後も多くのファンを魅了しています。

奥村土牛の絵画

 

奥村土牛の主な略歴

1905年(明治38年) 梶田半古に入門し、塾頭の小林古径から指導を受ける。
1907年(明治40年) 東京勧業博覧会で入選。
1911年(明治44年) 逓信省貯金局統計課で、ポスターなどを描く業務に従事。
1914年(大正3年) 梶田半古没後、小林古径に再度師事。
1917年(大正6年) 「土牛」の雅号を使用。
1935年(昭和10年) 帝国美術学校で教授として勤務。
1936年(昭和11年) 改組第1回帝展に「鴨」を出品、政府が買い上げる。
1944年(昭和19年) 塔協美術学校で講師として勤務。
1947年(昭和22年) 帝国芸術院(現:日本芸術院)の会員に就任。
1951年(昭和26年) 武蔵野美術大学の教授として勤務。
1962年(昭和37年) 文化勲章を受賞。
1978年(昭和53年) 日本美術院理事長として勤務。
1980年(昭和55年) 東京名誉都民の称号を贈与される。
1990年(平成2年) 奥村土牛記念美術館が開館。
逝去。

 

奥村土牛の作風

奥村土牛の作品はリアリティと気品に溢れ、清らかさを表現しているのが特徴です。奥村土牛の作品は写生と画品を重視し、人物・風景・花鳥などさまざまな題材を手がけています。

奥村土牛に大きな影響を与えたのが、ゴッホやセザンヌといった後期印象派の色彩や遠近の表現方法です。彼らの作品に強い衝撃を受けた奥村土牛は、梶田半古や小林古径から教わった写実をベースにそれを超えた表現を自ら開拓していくことを決意しました。

そのため、小林古径の画風を思わせる大正期とは異なり、昭和期に製作された作品は日本画の技法と西洋画の技法を融合させた独自の画風へと変化しています。

晩年には薄塗りを何度も繰り返すことで、絶妙な色加減と濃厚な色調に仕上げる独特な技法も生み出しました。これが傑作揃いといわれる所以です。

 

奥村土牛の代表作

奥村土牛の風景画で代表作として挙げられるのが次の3つの作品です。

「富士」

1987年に製作された「富士」は、奥村土牛を語るうえで欠かせない「富士山シリーズ」の1つです。奥村土牛は自然風景を好んでいましたが、晩年は特に富士山を好んで描いていました。独自の技法で描かれた富士は非常に力強く、奥村土牛を象徴する作品の1つといえます。

「鳴門」

1984年に製作された「鳴門」は土牛夫人の実家がある徳島を訪れた際に立ち寄った、阿波の鳴門をモチーフにした風景画です。近代日本画の中でも、傑作の1つともいわれています。

渦潮と島影のみが描かれる簡単な構成ですが、鑑賞者を渦に引き込むかのような力強さと迫力を感じる作品です。

「醍醐」

1972年に製作された「醍醐」は、京都の醍醐寺のしだれ桜をモチーフにした風景画です。桜の美しさとどこか儚さのある風情は、まるで実際の桜を見ているかのような作品となっています。

風景画が得意であり、写生と画品を重視した奥村土牛だからこそ生み出せる美しさといえるでしょう。

 

奥村土牛の買取相場

奥村土牛の作品の買取相場は、作品の種類によって大きく異なります。買取相場の例は次のとおりです。

  • 榛名富士:約2,100万円
  • 石榴:約500万円

奥村土牛作品は若年期よりも晩年期に描かれた風景画が人気が高く、特に富士がモチーフになる作品は高値で買取をされています。

ただし、製作時期やサイズ、図柄、風景画のモチーフなどによって買取価格は大きく異なる点には注意が必要です。正しい買取価格は、専門の買取業者による査定を受けることをおすすめします。

奥村土牛の版画

 

奥村土牛作品を高く売るためのポイント

奥村土牛作品をより高く売るためのポイントとして、次の3つが挙げられます。

  • コンディションを維持しておく
  • 鑑定書を備えておく
  • 日本画・掛軸の買取に積極的な業者に依頼する

経年劣化が進みコンディションが悪くなると、価値の高い作品でも買取価格は下がります。絵画はもちろんですが、掛軸は額装の絵画と違って紙で表装されているため湿気が吸収されやすく、経年劣化の進みが非常に早いです。特に日本は高温多湿のため、保管や取り扱いが難しくなります。譲り受けた掛軸の扱いに悩んでいるのであれば、劣化が進まないうちに買取の検討をおすすめします。

また、奥村土牛のような著名な画家の作品は偽物が多く出回っており、鑑定書がないと買取価格がつかない場合もあります。鑑定書がある場合は、作品と一緒に保管しておきましょう。個人でも鑑定書は発行できるため、買取価格を上げたい場合は鑑定書を発行して備えておくとよいです。

さらに、日本画や掛軸、近代美術の買取に積極的な専門業者に売ることをおすすめします。なぜなら、奥村土牛の作品を熟知する専門家でなければ、その価値を正しく判断できないからです。

日本画や掛軸を専門とする専門業者であれば、絵画に対する知識や経験を持つ査定員が在籍している場合もあります。奥村土牛作品の価値を正しく理解し、正当に評価してくれる専門買取業者へ依頼しましょう。

 

奥村土牛の買取でよくある質問

Q.偽物か本物か分かりませんが査定買取りして頂けますか?
A.真贋が分からない品でも査定させて頂きます、当店が真贋を見分け買取りさせて頂きます。

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.奥村土牛の作品以外にも絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.版画でも買取りして頂けますか?
A.版画も買取り可能です。

 

奥村土牛の絵画や掛軸の買取りは永寿堂におまかせ下さい

奥村土牛の買取りは永寿堂へ
奥村土牛の売却をお考えであれば、「永寿堂」へご依頼ください。弊社では、専門知識と経験、データから適正価格にて買取りさせて頂きます。奥村土牛以外の掛け軸や絵画はもちろんリトグラフやシルクスクリーンなどの版画や骨董品や茶道具や刀剣や美術品も査定買取致します。

永寿堂では店頭買取をはじめ出張買取や宅配買取も行っておりますので売却処分をお考えの品がございましたら、電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂のお問い合わせ

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