渡辺崋山の作品を買取りしております。売却をお考えの渡辺崋山の掛け軸買取りは永寿堂におまかせ下さい。お気軽に電話やメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。国宝をはじめ多くの重要文化財や重要美術品として作品が指定されている画家である渡辺崋山についてや略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
1.渡辺崋山(わたなべ かざん)について
渡辺崋山の主な略歴
渡辺崋山の代表作品
渡辺崋山の作品の買取相場
2.渡辺崋山の作品買取で当社が選ばれる理由
3.渡辺崋山の買取でよくある質問
4.渡辺崋山の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
永寿堂へのお問い合わせ先
渡辺崋山(わたなべ かざん)について
渡辺崋山は1793年9月16日、江戸麹町田原藩邸にて、父・定通と母・栄の長男として誕生しました。藩の財政難による減俸や、病気がちな父の医薬に多額の費用がかかったため、幼少期は日々の食事にも事欠くほど生活は苦しく、若干8歳にして藩主三宅康友の嫡男・亀吉のお伽役になりました。元々得意であった絵を描く内職をしながら生計を立てていましたが、1808年に絵師の白川芝山に入門し、翌年の1809年には金子金陵に絵を学び、さらに金陵の紹介を経て谷文晁に入門します。努力し続けた結果、20代半ば頃から絵の才能が開花し、画家としても名が知られるようになりました。また、崋山は絵のみならず、1805年に鷹見星皐に入門したのを皮切りに、1811年には佐藤一斎、1825年からは松崎慊堂に儒学も学んでいます。
幼少期の頃から藩主一家に近い存在であり、16歳の時に正式に藩の江戸屋敷に出仕した際は、納戸役や使番としての役割を果たしました。1823年に田原藩士和田氏の娘・たかと結婚し、1825年には取次役となります。そして、1832年の家老就任後は、藩政改革に乗り出しました。例えば、家格よりも役職を基準に俸禄を与える格高制は支出を引き締め、優秀な藩士の登用や士気向上に繋がりました。また、農学者の大蔵永常を招聘して稲作の技術改良を行い、中でも鯨油による田んぼの害虫駆除は大きな成功を収めています。さらに、1836年に起こった天保の大飢饉の際には、食料備蓄庫の「報民倉」を設置して災害への備えを徹底させていた事で、一人の餓死者も出さず全国で唯一幕府から表彰されました。その他、紀州藩破船流木掠取事件や田原領内へ課せられた助郷の免除運動など数々の問題も解決しています。
しかし、1837年に起こったモリソン号事件をきっかけに、状況が一変します。崋山は外国事情にも関心を持っていました。そこで、尚歯会という集会に参加し、高野長英や小関三英などと海防について議論を交わすなど、蘭学や兵学の研究を始めていたのです。そして、モリソン号事件が起こった時、幕府を批判した文書「慎機論」を書きました。ただ、田原藩の家老という立場上、提出する事を躊躇して原稿を放置します。そのまま原稿が発見されなければ問題無かったのですが、儒学の信奉者が多い幕府役人が蘭学者を弾圧させようと崋山を捕らえたところ、家宅捜索の際に慎機論が見つかり、重罪にあたるとして崋山は家老の職を解かれました。その後は田原の地で謹慎生活を送る事になりますが、生活が厳しかったため、弟子たちの協力を得ながら書画を売って生活するようになります。しかし、この事を幕府から批判され、最後は藩主に迷惑をかけまいと自刃して49歳の生涯を終えました。
渡辺崋山の次男である渡辺小華も画家として活躍されました。
渡辺崋山の主な略歴
1808年 | 鷹見星皐より華山の号を受ける |
1810年 | 田原に藩校成章館創立 |
1814年 | 絵事甲乙会を結成 |
1818年 | 「一掃百態」を描く |
1824年 | 父の病死により家督を相続 |
1831年 | 江戸藩邸文武稽古掛指南世話役となる |
1832年 | 田原藩家老となる |
1833年 | 「参海雑志」を書く |
1835年 | 報民倉竣工 |
渡辺崋山の代表作品
「一掃百態図」は崋山が26歳の時に描き、画家として名を広めた風俗画です。一筆で百態の動作を表すという意味があり、庶民の百態の動作を走筆で描いています。鎌倉時代から江戸時代までの庶民や武士の暮らしが描かれた風俗画に解説文が載せられたものですが、中でも寺子屋の図は、勉強を放り出して遊び始める子供達の生き生きとした姿が表現されており、ユーモラスがありながらも品の良さを感じさせる作品として高い評価を得ています。また、国宝となった「鷹見泉石像」をはじめ「佐藤一斎像」や「市河米庵像」などの肖像画も人気があります。崋山は西洋画における遠近法と陰影法を東洋画に取り入れた独自の画法を確立させましたが、特に肖像画はモデルの人間性まで如実に伝わってくるほど、人物の表情をリアルに捉えた作風となっています。
渡辺崋山の作品の買取相場
渡辺崋山の買取相場は、文献に掲載されているような作品であれば100万円以上の査定がつくでしょう。文献に掲載されていない作品で真作の作品であれば数十万円~100万円程度の査定となる可能性が高いです。作品の内容次第では300万円以上の査定となる品もございます。しかし渡辺崋山の作品は贋物だらけと言えるほど贋物が多くあり注意が必要です。
渡辺崋山の作品買取で当社が選ばれる理由
1.高価買取 当社は人件費や運営コストをかけていない分だけ高価買取させていただいております。
2.秘密厳守にて買取させていただいております。
3.京都や東京などにもルートがあり専門知識とデータにて適正価格にて買取させていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.出張費用無料にて店主自らが査定に伺わせていただきます。
渡辺崋山の買取でよくある質問
Q.偽物か本物か分かりませんが査定買取りして頂けますか?
A.真贋が分からない品でも査定させて頂きます、当店が真贋を見分け買取りさせて頂きます。
Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。
Q.渡辺崋山の作品以外にも絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。
Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。
Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。
Q.木箱がなくても買取りできますか?
A.木箱が付属していなくても買取り可能です。
渡辺崋山の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
渡辺崋山の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。国宝をはじめ多くの重要文化財や重要美術品として作品が指定されている画家である渡辺崋山の掛け軸を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、渡辺崋山の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。
永寿堂へのお問い合わせ先
・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
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