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【荻原碌山買取】荻原碌山のブロンズ像買取は永寿堂へ
萩原碌山タイトル

荻原碌山の作品を買取りしております、売却をお考えの荻原碌山のブロンズ像の買取りは永寿堂におまかせ下さい。明治期の彫刻家である荻原碌山についてや略歴や作風なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
1.荻原碌山(おぎわら ろくざん)について
 萩原碌山の主な略歴
 萩原碌山の作風
2.萩原碌山の作品買取で当社が選ばれる理由
3.萩原碌山の買取でよくある質問
4.萩原碌山の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

荻原碌山(おぎわら ろくざん)について

荻原碌山(おぎわら・ろくざん、またはおぎはら・ろくざん)は1879(明治12)年12月1日に、長野県南安曇郡東穂高村で5人兄弟の末っ子として生まれました。本名は守衛(もりえ)、明治期を代表する彫刻家です。守衛が17歳の時、人生に多大な影響を与えた相馬黒光(そうま・こっこう)と出会います。同郷の実業家である相馬愛蔵(そうま・あいぞう)の妻で、守衛の3歳年上の黒光は東京の女学校に進学した才女でした。黒光は芸術の造詣も深く、その知識を守衛は吸収します。芸術への情熱が芽生えた守衛は洋画家を志すようになります。1899(明治32)年に上京しました。

本格的な絵画の勉強を始めたのは、1901(明治34)年の海外留学からでした。ニューヨークに渡米し、アルバイトを続けながらアカデミーで絵画を学びます。西洋画の基本を学び、デッサンを続けた守衛でしたが、本当に描きたいものが見出せずにいました。そんな中、1903(明治36)年に訪れたパリで衝撃的な出会いがあります。近代彫刻の父とも称される、オーギュスト・ロダンの「考える人」に出会い、彫刻家を目指します。

1906(明治39)年に再度パリに渡り、アカデミー・ジュリアンの彫刻教室に入りました。アカデミー内の賞でグランプリを獲るまでに成長し、オーギュスト・ロダンと再会します。「女の胴」や「坑夫」を制作し、イタリアやギリシャ、エジプトを回って日本に帰ります。帰国した守衛は東京都新宿角筈(つのはず)にアトリエを構え、彫刻家「萩原碌山」としての活動を始めました。夫と共に上京し、新宿で食品メーカー「中村屋」を成功させていた黒光と再会します。

留守が多かった愛蔵の代わりに子供たちの遊び相手をするなど、碌山は相馬家と家族ぐるみの関係を築きます。黒光に恋心を抱きながらも抑えていた碌山でしたが、黒光から愛蔵の浮気を相談されたことで、悩みは深くなりました。黒光への気持ちを振り払うように制作に没頭し、1908(明治41)年の第二回文展で入賞した「文覚」を作り上げます。碌山は「文覚」に自身の心情を重ね合わせ、愛憎とその葛藤を表現しました。1909(明治42)年に制作した「デスペア」には、黒光の苦しみが表現されています。

1910(明治43)年に、「母と病める子」と「女」を制作。病に伏した次男を介抱する黒光を描いた「母と病める子」、闘病むなしく亡くなった次男の死に対して気丈に振る舞う黒光を描く「女」は、信州大学名誉教授の仁科惇から評価を得ています。同年4月20日、相馬家を訪れた際に、肺や気管支から出血する「喀血(かっけつ)」を起こします。これが原因となり、1910(明治43)年4月22日の午前2時30分ごろに亡くなりました。

 

萩原碌山の主な略歴

1901年 洗礼を受けニューヨークへ渡米。アート・スチューデンツ・リーグ入学
1903年 渡仏。アカデミー・ジュリアンに通学
1906年 アカデミー・ジュリアンの彫刻部に入部
1907年 校内コンクールで入賞
1908年 帰国。新宿にアトリエを構える。第二回文展入選
1910年 永眠。第四回文展に出品された「女」を文部省が買い上げ。日英博覧会に「宮内氏像」出品

 

萩原碌山の作風

荻原碌山の作品は、相馬黒光への感情が表現されているのが特徴です。芸術を志すきっかけになり、恋心を抱きながらも許されざる想いだったことから、そのやり場のない感情を作品に投影しています。明治以降の彫刻では、「女」が重要文化指定財の第一号になっています。高い評価を受ける「文覚」や「デスペア」、「母と病める子」も、作品の題材になっているのは黒光です。黒光への愛の深さと、その激情との葛藤が作風に表れています。

萩原碌山の作品イメージ

 

萩原碌山の作品買取で当社が選ばれる理由

1.高価買取 当社は人件費や運営コストをかけていない分だけ高価買取させていただいております。
2.秘密厳守にて買取させていただいております。
3.京都や東京などにもルートがあり専門知識とデータにて適正価格にて買取させていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.出張費用無料にて店主自らが査定に伺わせていただきます。

 

萩原碌山の買取でよくある質問

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.萩原碌山の作品以外にも茶器や絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が傷や汚れなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが買取額は少し低くなります。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.共箱ではありませんが買取りして頂けますか?
A. 共箱でなくても買取りさせて頂きます。

Q.作品が重くて一人で運べない様な品でも買取りして頂けますか?
A. もちろん買取可能です。事前に重量がある事をお伝え頂けるとありがたいです。

 

萩原碌山の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

萩原碌山の売却であれば高価買取します

萩原碌山の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。明治期の彫刻家である萩原碌山のブロンズ作品を高価買取させて頂きます。

当社は幅広いジャンルを取り扱っており、萩原碌山の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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