益田鈍翁の作品を買取りしております、千利休以来の大茶人と称された益田鈍翁が制作した茶碗や鈍翁が愛蔵した茶道具などをお持ちでご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。
【目次】
益田鈍翁(ますだ どんおう)について
益田鈍翁の経歴
益田鈍翁の代表作
益田鈍翁の作品の買取相場
益田鈍翁の買取りは永寿堂へ!
益田鈍翁の愛蔵した茶道具や制作した茶碗を買取りします
益田鈍翁(ますだ どんおう)について
益田鈍翁は、明治から昭和初期にかけて実業家や茶人として活躍した人物です。本名は益田孝といい、1848年に佐渡の幕臣の家において生まれました。幼少期から英語に習熟しており、14歳の時には早くもアメリカ公使館で通訳として活躍しています。その後、1873年に幕府の遣欧使節に随行してヨーロッパを歴訪し、帰国後に現在の明治学院の前身であるヘボン塾において英語を学んだうえで、横浜で貿易業を始めます。1871年には明治の元勲の一人にも数えられる井上薫の勧めで大蔵省に入省し、これがきっかけとなって1874年には井上と一緒に先収会社を設立しました。そこでの活躍が認められて1876年には三井物産の社長にまで上り詰め、工部省から三池炭鉱の払い下げを受けて三井鉱山を設立するなど、同社を巨大総合商社へと育て上げます。それ以外にも、後に日本経済新聞となる中外物価新報を創刊するなど、近代日本の経済発展に多大な貢献をしました。
そんな益田鈍翁ですが、1906年に小田原市内に造営した掃雲台と呼ばれる別邸に数多くの茶席を建てたり、数々の茶道具を収集して明治時代に茶道の一大ブームを巻き起こすといった文化人としての活躍もしており、茶人や美術収集家としても高く評価されています。また、箱根の開発や企業誘致にも積極的に取り組み、今日の小田原の礎を築いた人物でもありました。
益田鈍翁の経歴
1848年 | 佐渡の幕臣の息子として誕生 |
1863年 | 幕府の遣欧使節に随行してヨーロッパを歴訪 |
1874年 | 井上馨と共に先収会社を設立 |
1876年 | 三井物産の社長に就任 |
1922年 | 三池炭鉱の払い下げを受けて三井鉱山を設立 |
1938年 | 91歳で死去 |
益田鈍翁の代表作
益田鈍翁は、コレクターとして様々な茶道具を収集していますが、それだけでなく自身でも数々の掛け軸や茶掛けといった作品を手掛けています。例えば、その中の一つに「苦中楽」と呼ばれる掛け軸があるのですが、こちらは益田鈍翁が晩年になって作成されたものであるにもかかわらず、年齢を感じさせない力強い筆跡で書かれたもので、彼のエネルギッシュな生き様を感じられる名品です。
益田鈍翁の作品の買取相場
益田鈍翁の作品は、その功績に照らして買取市場において高く評価される傾向にあります。もちろん作品によってその買取金額は異なってきますが、自作の茶碗であれば10万円以上の買取りとなるでしょう。また、鈍翁が所有していた茶道具も高額買取となる作品が多いです。
益田鈍翁の買取りは永寿堂へ!
益田鈍翁の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。千利休以来の大茶人と称された益田鈍翁が制作した茶碗や鈍翁が愛蔵した茶道具などを高価買取させて頂きます。
当社は茶道具をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。
●永寿堂へのお問い合わせ先
・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
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