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彫刻家として活躍した雨宮治郎のブロンズ像を買取します
雨宮治郎タイトル

雨宮治郎の作品を買取りしております、茨城県出身で日本芸術院会員の彫刻家である雨宮治郎が制作したブロンズ像のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
雨宮治郎(あめのみや じろう)について
 雨宮治郎の主な略歴
 雨宮治郎の代表作品
 雨宮治郎の買取相場
雨宮治郎の買取りは永寿堂へ!

 

雨宮治郎の経歴や買取り情報について

雨宮治郎(あめのみや じろう)について

雨宮治郎は大正から昭和時代に活躍した彫刻家です。明治22年5月17日に茨城県水戸市で生まれました。妻・日出子との間には、同じく彫刻家である雨宮敬子と雨宮淳の2人の子供がいます。彫刻家を目指して東京美術大学彫刻科に入学し、在学中の大正7年には第12回文展に出品した「落花」という作品で初入選を果たします。彫刻科卒業後はそのまま同研究科へ進み、大正9年に卒業しました。その翌年には、関東大震災復興美術展で妙技賞を受賞。初入選後も作品の出品・発表を続け、第10回帝展、11回帝展では「無人の境を行く」、「鎗投」が連続で特選を受賞、第12回帝展では審査員を務めました。その後、帝展のみならず文展や日展でも審査員を務めています。昭和26年から昭和31年まで東京学芸大学で教授を務め、昭和41年には日本彫塑会々長となりました。

雨宮治郎のブロンズ像作品イメージ

 

雨宮治郎の主な略歴

1889年 茨城県水戸市で誕生
1918年 東京美術学校彫刻科在学中「落花」で第12回文展初入選
1920年 東京美術学校彫刻科を卒業
1923年 東京美術学校研究科を卒業
1931年 第12回帝展で審査員に就任
1950年 日展審査員、日展運営会参事に就任
1951年 東京学芸大学教授に就任
1957年 日本芸術院賞受賞
1958年 日展評議員に就任
1962年 日本彫塑会委員長に就任
1964年 日本芸術院会員、日展理事に就任
1966年 日本彫塑会会長に就任、勲三等瑞宝章を受章
1969年 日展顧問に就任
1970年 東京大塚病院にて逝去

 

雨宮治郎の代表作品

人体の構造を忠実に表現するリアリズムを追求した作風で、男性をモチーフとした作品を数多く制作しています。「無人の境を行く」、「槍投」と並ぶ代表作であるブロンズ像「健人」は、現在日本体育大学世田谷キャンパス1階のエントランスホールに飾られています。北海道開道100年を記念した「黒田清隆像」は北海道札幌市大通公園にホーレスケプロンの像と並んで設置され、佐賀県鹿島市の旭ヶ岡公園には「鍋島直彬公像」が設置されています。

 

雨宮治郎の買取相場

雨宮治郎の買取り相場は女性のブロンズ像であれば2万円~10万円が買取り相場となるでしょう。作品の出来や共箱の有無、大きさや作成された年代など様々なポイントで査定買取り額が決まってきます。

 

雨宮治郎の買取りは永寿堂へ!

雨宮治郎の買取りは永寿堂へ

雨宮治郎の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。茨城県出身で日本芸術院会員の彫刻家である雨宮治郎が制作したブロンズ像作品を高価買取させて頂きます。

当社はブロンズ像作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

●永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
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