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【富永直樹買取】富永直樹のブロンズ像買取は永寿堂へ
富永直樹タイトル

富永直樹の作品を買取りしております。昭和から平成にかけて活躍し平成元年には文化勲章を受章した彫刻家の富永直樹が制作したブロンズ像のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
富永直樹(とみなが なおき)について
 富永直樹の主な略歴
 富永直樹の作風や代表作品
 富永直樹の作品の買取相場
富永直樹の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

彫刻家の富永直樹についての経歴や買取情報など

富永直樹(とみなが なおき)について

富永直樹(とみながなおき、本名:富永良雄)は、昭和から平成にかけて活動した彫刻家です。1913年5月に長崎県長崎市で生まれました。彼は長崎県立長崎中学(旧制)在学中に彫刻に関心を抱くようになりました。1933年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の彫刻科塑造部に入学し、北村西望朝倉文夫建畠大夢に師事。1936年の文展(日展の前身)において「F子の首」で初入選しました。1938年に東京美術学校彫刻科塑像部を主席卒業し、その後同校彫刻科研究科に進学。1940年に同科研究課程を卒業しました。

その後、富永直樹は日展を活躍の場にして数々の作品で受賞。1953年には自らが審査員となり、1979年には日展理事長に就任しました。日本彫塑家倶楽部にも富永直樹は作品を出典し続け、1986年には同会理事長に就任しています。また、美術界以外の仕事においても富永直樹は活躍しています。三洋電機のデザイン部に働きながら、黒電話四号機・カラー電話・家具調テレビなどの意匠に携わりました。2006年4月11日に富永直樹は死去。虚血性心不全でした。

富永直樹のブロンズ像作品

 

富永直樹の主な略歴

1936年 「F子の首」で文展に初入選する
1950年 第6回日展において「殊勲者」で特選を受賞
1951年 第7回日展において「山」で特選を受賞
1952年 第8回日展において「主将」で特選を受賞
1968年 第11回日展において「平和の叫び」で文部大臣賞を受賞
1972年 日本芸術院賞を受賞
1984年 文化功労者として勲三等瑞宝章を受章
1989年 文化勲章受章
1997年 新宿区名誉区民に選ばれる

 

富永直樹の作風や代表作品

富永直樹は、個展の開催や公共の場における彫刻の製造などで、誰もが触れられる場所に多くの作品を残した作家の1人です。モチーフに着衣の人物(自身の姿)を好んだため、その作品は一見すると穏やかさと平凡さが目につくかもしれません。しかし、類まれなる観察眼を元にした写実主義に裏打ちされた緻密な表現は、まるで血が通うかのごとき躍動感を作品に与えています。一般的には富永直樹の作品は人物像がよく知られています。例えば「平和の叫び」はその代表であるといえるでしょう。彼の作品には異人文化を主題にしたものも多くみられます。「トーマス・ブレーク・グラバー之像」「若きシーボルトの像」などです。また、「新風」「孟春」など動物をモチーフにした作品も多数残しています。

 

富永直樹の作品の買取相場

富永直樹が死去してから10年以上たちますが、その作品においての価値は損なわれていません。モチーフや評価などで買取り金額が変わるのは当然ですが、彫刻であるため、サイズ感も買取相場に大きな影響を与えます。買取り金額は干支などのブロンズ像で小作品は数千円~数万円、高さ50cm以上の大きな作品で女性や猫のモチーフなど人気の作品になると数十万円の査定が期待できます。買取りを検討している場合は、自作証明書や共箱を用意しておくようにしましょう。査定がスムーズになります。

 

富永直樹の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ

富永直樹の買取りは永寿堂へ

富永直樹の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。昭和から平成にかけて活躍し平成元年には文化勲章を受章した彫刻家の富永直樹が制作したブロンズ像作品を高価買取させて頂きます。

当社はブロンズ像作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

 

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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