真宗大谷派僧侶として活躍した暁烏敏の一行書や詩や俳句などの掛け軸を買取りします|愛知名古屋の骨董品買取は永寿堂へ

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【暁烏敏買取】暁烏敏の書や掛け軸買取は永寿堂へ
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暁烏敏の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの暁烏敏の掛け軸や書や全集の買取りは永寿堂におまかせ下さい。加賀の三羽烏と呼ばれ詩や俳句を残した真宗大谷派の僧侶である暁烏敏についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので作品の購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
暁烏敏(あけがらす はや)について
 暁烏敏の主な略歴
 暁烏敏の有名な書物『歎異抄講話』
 暁烏敏の買取相場
暁烏敏の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

暁烏敏(あけがらす はや)について

暁烏敏は1877年、石川県石川郡真宗大谷派の明達寺に長男として生まれます。
父の暁烏依念(えねん)は説教使として知られた人物で、母の千代野も、敏の教育に熱心でした。20歳で『歎異抄』に出会い、清沢満之の影響を受けて、佐々木月樵、多田鼎とともに浩々洞を開設します。3人は浩々洞三羽烏と呼ばれました。

1901年に『精神界』の刊行を発案し、同人たちと共に発刊します。『精神界』の誌上にて「『歎異抄』を読む」という記事を、8年間55回にわたり連載し、『歎異抄』の存在を世に広めました。この「『歎異抄』を読む」を再編集したのが『歎異抄講話』で、暁烏敏の代表作と言えます。1903年には師の清沢満之が死去したため、浩々洞の代表になります。
1915年に浩々洞代表を辞し、自坊の明達寺に戻ります。真宗大谷派の革新運動を展開するため、各地で講演を行い、そのカリスマ性によって多くの信者を獲得しました。1951年、東本願寺の宗務総長も務め、窮地に追い詰められていた宗派の財政を回復させました。1952年には宗務総長を辞任し、自坊の明達寺に清沢満之の像と、脇侍として合掌する自身の像を安置した臘扇堂の建立を計画し、臘扇堂が完成します。臘扇堂の完成から一週間後、1954年8月27日、77歳にて逝去しました。

暁烏敏は真宗大谷派の僧侶、宗教家でしたが、真宗大学在学時から俳句を作り、高浜虚子に師事し、詩や俳句も多く残しています。

 

暁烏敏の主な略歴

1899年 清沢満之に出会い、佐々木月樵、多田鼎とともに浩々洞を開設
1901年 浩々洞において『精神界』の刊行を発案し、浩々洞の同人らと共に発刊
1903年 世に『歎異抄』の存在を広め、浩々洞代表となる。
1915年 浩々洞代表を辞任
1927年 インド・欧州旅行、ハワイ・アメリカ講演を経て、日本精神を提唱
1935年 大報恩会厳修と大日本文教院設立を志願
1950年 蔵書を金沢大学に寄贈、「暁烏文庫」と名付けられる
1951年 真宗大谷派の宗務総長に就任
1952年 宗務総長を辞任

 

暁烏敏の有名な書物『歎異抄講話』

親鸞の教えを説いた『歎異抄』を一般の人にもわかりやすく理解できるよう紐解いた一冊です。

暁烏敏の巻物

 

暁烏敏の買取相場

真宗大谷派の僧侶であった暁烏敏の一行書などの掛軸買取相場は、書いてある内容や作品の状態や箱の有無など様々な状況により大きく変わります、真筆と判断できる作品であれば数万円~10万円程度の買取りが期待できるでしょう。希少作品や付加価値の付いている作品であれば更に高額査定も期待できるかもしれません。

 

暁烏敏の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ

暁烏敏の買取りは永寿堂へ

暁烏敏の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。加賀の三羽烏と呼ばれ詩や俳句を残した真宗大谷派の僧侶である暁烏敏の掛け軸や書を高価買取させて頂きます。また暁烏敏全集の本でも買取りさせて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、暁烏敏の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

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