良寛の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの良寛の掛け軸や書の買取りは永寿堂におまかせ下さい。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので作品の購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
良寛(りょうかん)について
良寛の主な略歴
良寛の「書」について
良寛の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ
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良寛(りょうかん)について
良寛(りょうかん)は江戸時代後期に生きた曹洞宗の僧侶です。諸民に愛され、広く仏教の教化に務めた人物として知られています。歴史に名を残すほどの有名な僧侶は、国政に関わる仕事に就いたり、大きな寺の住職であることが多いですが、良寛は生涯寺を持ちませんでした。托鉢(たくはつ)で生計を立てる一僧侶として過ごしました。良寛は僧侶としての面だけでなく、詩人・歌人・書家としての一面も持っており、そのいずれにおいても高い評価を受けています。
江戸後期の越後国、出雲崎の名主(なぬし)である橘屋の長男として良寛はその生を受けました。幼名は「栄蔵」、元服後は文考と名乗りました。良寛は幼いころから学問を好み、多くの書物を読み、記憶していたと伝えられています。18歳のころ、名主見習役として働き始めますが、突如として尼瀬光照寺に駆け込み、そのまま出家してしまいます。名主見習役として務めた期間はわずか46日でした。22歳になったころ、国を捨てて円通寺の国仙和尚の元で修行を開始します。円通寺では経を読むよりも勤労に励むことを重視していました。この寺での日々が後の良寛の生き方や考えに強い影響を与えたと考えられています。
円通寺での修業は12年間におよびました。修行を終えた良寛は、国仙和尚が死に際に残した「好きなように旅をするがよい」という言葉に従い、諸国を旅しながら生きるようになります。
48歳のころ、良寛は生まれ故郷の越後へと戻り、国上寺(こくじょうじ、現在の新潟県燕市にある)において書を学ぶようになります。良寛は「書」を学ぶために「秋萩帖(あきはぎじょう、書の平安時代における作品)」を自ら選んで書の手本としました。この時期に、良寛は従来の書法を学ぶだけでなく自分なりの書法を開発していきました。生活の本拠としたのは国上寺内にある「五合庵(ごごうあん)」です。「この里に手まりつきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし」という有名な歌は、五合庵での生活を元にしたものです。歌集「布留散東 (ふるさと)」に収録されています。
61歳になるころ、階段の上り下りが辛くなった良寛は、生活の本拠を乙子神社境内(新潟県燕市)の草庵に移しました。名書家としても知られるようになった良寛は、たびたび書の依頼を受けるようになりました。しかし、高名な人物からの依頼は断ることが多かったそうです。一方で、子どもから文字を書いてほしいと頼まれたときは、気軽に要望にこたえていました。子どもにお願いされて凧に書いた「天上台風」の文字は、現在でも残っています。この時期の良寛の作品は円熟期に達しており、現代においても高く評価されているものが多いです。なお、乙子神社がある燕市では良寛にちなみ、書道展「良寛書道展」を開催しています。
70歳になると、良寛は島崎村(現在の新潟県長岡市)にあった木村元右衛門邸内に庵を構えて住むようになりました。その頃、曹洞宗の尼僧である貞心尼(ていしんに)が良寛の元を訪れました。二人の交流は良寛が亡くなるときまで続いたそうです。74歳で良寛は亡くなりました。良寛の辞世の句である「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」は貞心尼の歌集「蓮の露」に収録されています。
良寛の主な略歴
1758年(宝暦8年) | 11月2日に越後国出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)で生まれる |
1775年(安永4年) | 尼瀬光照寺にて出家。良寛と名乗るようになる |
1779年(安永8年) | 円通寺(備中玉島、現在の岡山県倉敷市)の国仙和尚に師事 |
1790年(寛政2年) | 修行を終えて印加を賜る |
1805年(文化2年) | 五合庵を生活の拠点にする |
1816年(文化13年) | 乙子神社草庵を生活の拠点にする |
1826年(文政9年) | 島崎村木村元右エ門の邸内で暮らすようになる |
1831年(天保2年) | 正月6日に他界。隆泉寺(現在の新潟県長岡市)木村家墓地に葬られる |
良寛の「書」について
良寛は漢詩や歌だけでなく、多くの「書」を残しました。良寛の「書」は、細い線でぼくとつと書かれており、見る者にどこか安心感を感じさせる素朴さを持っています。文字から一切の無駄が省かれ、文字の存在感だけを浮き彫りにしたような書である、とも評価されています。良寛の書の美術価値は非常に高く、日本における書の最高傑作の1つとして数えられるほどです。市場価格は簡単な手紙や短文なら数十万円ほどから、図録掲載作などで歌や漢詩を記したものや掛け軸などは数百万円を越えるものも少なくありません。
良寛の書では「草庵雪夜作(そうあんせつやのさく)」、「貼り交ぜ六曲一双屏風」、「いろは」と「一二三」などがよく知られています。
良寛の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ
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