志賀直哉の作品を買取りしております。売却をお考えの志賀直哉の直筆書簡や自選集などの買取りは永寿堂におまかせ下さい。明治から昭和にかけて活躍し文化勲章を受章した小説家である志賀直哉についての略歴などについて掲載しておりますので作品の購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
志賀直哉(しが なおや)について
志賀直哉の主な略歴
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志賀直哉(しが なおや)について
明治から昭和にかけて活躍した小説家、志賀直哉(しがなおや)は、銀行勤めの父・直温と母・銀の次男として、1883年に宮城県石巻市に生まれました。2歳のころ一家で東京に移り、1895年9月に学習院中等科に入学しています。翌年、有島生馬らとともに「倹遊会」を結成して本格的に文筆活動を開始しました。実生活では前年に実母が亡くなり父親が再婚。この体験は直哉にとって大きな衝撃となり、後に「母の死と新しい母」という作品にまとめています。スポーツに熱中する一方、社会正義に燃える熱血漢の一面を持ち、足尾鉱毒事件では義憤に駆られて現地視察を計画しますが、経営側に近い父の反対を受けて激しく対立。後に長く続く父との不和のきっかけとなりました。
1906年9月、東京帝国大学英文学科に入学すると、生涯の友となる武者小路実篤らと知己を得て雑誌「白樺」を創刊。有島武郎、柳宗悦らが同人に加わりました。創刊号で「網走まで」を発表した後、「范の犯罪」「城の崎にて」「小僧の神様」など初期の代表作を次々と世に出して作家としての足固めをはかりました。1912年には、自らの結婚問題を題材にした作品「大津順吉」の出版をめぐり、父と決定的に衝突したことが原因で家出。広島県尾道へ転居します。この尾道行きを発端に、松江、京都、鎌倉など各地を転々とする生活が長く続きました。この間、電車事故による療養や、武者小路実篤の従妹にあたる勘解由小路康子との結婚などを経て、その体験が「城の崎にて」「焚火」など中期の作品に結び付いています。
1915年9月、千葉県我孫子に移り住んだ直哉は、「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太」など円熟味を増した中期の作品を発表する一方で、1917年には長年対立していた父との確執を解消。1日平均10枚、15日で書き上げるというハイスピードでこの体験をまとめ、代表作の一つともなる「和解」を上梓しました。ほかにも「小僧の神様」「真鶴」などの名作を書き上げながら、長編「暗夜行路」を書き始めたのもこの我孫子時代でした。長編の創作には苦心を重ね、行き詰まりを打開しようと1923年に我孫子から京都へ移住。1937年にようやく直哉の代表作「暗夜行路」が完成しました。
太平洋戦争に向かって時代が進む中、再び東京に帰った直哉は自らの全集の最終配本をもって小説家の廃業を宣言、油絵の創作などに親しみました。これには勝ち目のない戦況に対する抗議と反戦の意味もあったとされます。戦後は「灰色の月」で再び筆を執り、戦後日本についての時事エッセイなども多数執筆しました。1947年に日本ペンクラブの会長に就任し、「山鳩」「朝顔」などを発表。1949年には文化勲章を受章しています。1952年、毎日新聞の「文化使節団」として柳宗悦らとヨーロッパに旅行。イタリア、パリ、リスボンなど各地の美術館を巡りますが、途上で体調を崩し、憔悴して帰国するという体験もしました。
1955年、渋谷常盤松に転居、その後はほとんど作品を発表することはなく、1969年の随筆「ナイルの水の一滴」を最後に再び筆を執りませんでした。1971年10月21日午前11時58分、肺炎と老衰のために関東中央病院で亡くなりました。享年88でした。
選りすぐられた言葉と簡潔な文体で「小説の神様」と称される志賀直哉は、日本近代文学の巨匠として文壇で確固たる地位を占めています。一方で小説以外にも、ロダンやゴッホ、セザンヌなど絵画の巨匠を「白樺」で紹介し、自らも絵筆をとって油絵などを残すなど美術の才能も発揮しました。その確固とした審美眼は文学だけでなく美術にも鋭く貫かれています。
志賀直哉の主な略歴
1883年 | 宮城県石巻市で生誕。 |
1885年 | 上京。 |
1906年 | 東京帝国大学英文学科へ入学。 |
1910年 | 「白樺」創刊、「網走まで」を発表。 |
1912年 | 父との不和で家出、広島県尾道市に移住。 |
1913年 | 山手線にはねられて重傷を負う。 |
1915年 | 千葉県我孫子町に移住。 |
1917年 | 父との確執解消、「和解」執筆。 |
1923年 | 京都の粟田口へ移住。 |
1937年 | 「暗夜行路」完結。 |
1947年 | 日本ペンクラブ会長に就任。 |
1949年 | 文化勲章を受章。 |
1971年 | 10月21日、死去。 |
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