浅井忠の絵画を買取りしております。売却をお考えの浅井忠の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。近代洋画の先駆者として活躍した明治期の洋画家である浅井忠についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
浅井忠(あさい ちゅう)について
浅井忠の略歴
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浅井忠(あさい ちゅう)について
浅井忠は1856年7月22日、江戸木挽町にて佐倉藩士である浅井常明の長男として誕生しました。少年時代は佐倉藩の藩校・成徳書院で儒教や武芸を学んでいましたが、13歳頃からは佐倉藩の南画家である黒沼槐山に花鳥画を学ぶようになります。若くして才能の片鱗を見せ始めた忠は1875年、洋画塾彰技堂に入り国沢新九郎から油絵を学びます。さらに翌年の1876年には、官立の美術教育機関である工部美術学校に入学し、イタリアから招聘されたフォンタネージに師事して西洋美術の教育を受けました。
強く感銘を受けたフォンタネージが帰国してからは、後任教師の指導が物足りず美術学校を退学してしまうのですが、この時に一緒に退学した小山正太郎や松岡寿らと十一会を結成し、洋画研究を継続しました。1889年、今度は忠が中心となって日本初の洋画団体・明治美術会を設立します。さらに1895年には第4回内国勧業博覧会において妙技二等賞を受賞し、1898年には東京美術学校の教授に就任しました。また1900年からは文部省に命じられ、西洋画研究のためフランスに2年間留学しています。留学期間中はパリ近郊の村グレーをよく訪れ、風景スケッチや人物画を数多く制作しました。
帰国後は京都高等工芸学校教授に就任し、1903年には聖護院洋画研究所を創立しました。聖護院洋画研究所は1906年より関西美術院となるのですが、ここでは後進の育成に力を入れています。安井曽太郎や梅原龍三郎、石井柏亭などが主な出身者で、忠は洋画家としてのみならず、教育者としても高い評価を受けました。また正岡子規や夏目漱石ら文人とも親交があり、正岡子規には西洋画を教えています。印象派の画風を取り入れ、水彩画にも多くの佳作を残した忠ですが、1907年12月16日、心臓麻痺のため51年の生涯を閉じました。
浅井忠の略歴
1856年 | 江戸・木挽町の佐倉藩邸内にて誕生 |
1876年 | 工部美術学校に入学 |
1889年 | 明治美術会を創立 |
1895年 | 第4回内国勧業博覧会にて妙技二等賞受賞 |
1898年 | 東京美術学校教授に就任 |
1900年 | フランスに留学 |
1902年 | 京都高等工芸学校教授に就任 |
1903年 | 聖護院洋画研究所を創立 |
1907年 | 死去 |
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