三岸節子の絵画を買取りしております。売却をお考えの三岸節子の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。愛知県一宮市生まれの女流洋画家で文化功労者の三岸節子についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
三岸節子(みぎし せつこ)について
三岸節子の主な略歴
三岸節子の画風
三岸節子の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先
三岸節子(みぎし せつこ)について
三岸節子は愛知県中島郡起町に10人兄弟の6番目、4女として生まれました。織物工場を営む裕福な家庭に生まれたものの、足に先天性の障がいをもっていたため周囲から偏見の目でみられていました。不況により家が没落するものの、三岸節子はこれを転機に「洋画家」の道を目指し始めます。当時女性洋画家がほとんど居なかったため両親から強く反対された三岸節子でしたが道を諦めることはなく、戦前・戦後にかけて作品を生み出し続けていきます。
名古屋市にある淑徳高等女学校を卒業後に上京。両親からは日本画を強く勧められたものの洋画への意思をつらぬき、本郷洋画研究所で洋画家の岡田三郎助に師事します。女子美術学校に編入し主席で卒業し、1924年に洋画家の三岸好太郎と結婚。1930年に長男黄太郎を出産します。1934年に三岸好太郎と死別してしまった三岸節子は、黄太郎と苦しい生活を送りながらも数々の静物画を描き続け、1946年女流画家協会を創立。1954年には黄太郎の留学先であるフランスに渡り、ヨーロッパの各地を渡りながら風景画を描き続けます。老化で衰える身体と戦いながらも多くの風景画を作りあげました。長くヨーロッパで創作を続けた三岸節子は1989年、84歳で日本に帰国。1999年、神奈川県中郡大磯の病院で94歳にて逝去しました。三岸節子の作品と美術への関心を高めるため、彼女の作品を取集・展示した記念美術館が1998年愛知県一宮市の生家跡地に建設されました。
三岸節子の主な略歴
1946年 | 女流画家協会を創立 |
1951年 | 女性美術家初となる芸能選奨文部大臣賞受賞 |
1952年 | 第1回日本国際美術展の一般投票で1位に選定 |
1986年 | 秋の叙勲で勲三等宝冠章受章 |
1990年 | 1989年度朝日賞を受賞 |
1994年 | 女性洋画家初となる文化功労者となる |
三岸節子の画風
アンリ・マティスやピエール・ボナール、ジョルジュ・ブラックなどから影響を受け、フランス絵画を取り入れた作風が特徴的。みずみずしい彩りの花を描いた作品をはじめ、明るい軽やかな色彩の静物画を多く生み出し、ヨーロッパに渡った後は風景画にも力を入れ始めました。
三岸節子の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
三岸節子の絵画を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。愛知県一宮市生まれの女流洋画家で文化功労者の三岸節子が描いた絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、三岸節子の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。
骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先
・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
・LINE ID:@721crjcp
骨董品コラムの
ピックアップ記事
2024.04.03
茶道具と骨董品の世界!歴史と美の交差点を探る
2024.01.25
骨董品で高く売れるものは?その特徴やおすすめできない売却方法もご紹介!
2024.02.02
骨董品には需要がある?価値を最大限に引き出すコツもご紹介!
2022.05.18
骨董品の種類まとめ|価値のあるものの特徴や高く売るためのポイントを解説
2022.05.17
骨董品とは?骨董品とは何なのか?定義や種類について解説
2024.04.26
価値ある骨董品とは?有名な骨董品作家についてご紹介!
2024.01.05
骨董品の買取相場はいくら?買取時のポイントや買取方法などを解説!
2024.03.30
なぜ骨董品の需要が高いの?需要の秘密と価値を高めるコツもご紹介!
2024.10.04
高い買取価格を期待できる銀瓶の特徴とは?買取業者を選ぶポイントも紹介