ラグーザ玉の絵画を買取りしております。売却をお考えのラグーザ玉の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。イタリアに渡り活躍した女流画家で西洋名はEleonora Ragusa、帰国後も絵画を描き続けたラグーザ玉についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
ラグーザ玉の生涯と代表作品
生涯年表
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ラグーザ玉の生涯と代表作品
ラグーザ玉は明治から昭和にかけて活躍した画家です。1861年に植木屋を営んでいた清原定吉、かねの間に生まれたラグーザ玉は、幼少期から絵画に興味を持っていたと言われています。見るだけでなく自身で画くことにも興味があり、画家になるための基礎を学ぶためにエイシュウと呼ばれに作家に師事をしたのが1870年代の初頭です。エイシュウの下で技術を身に付け自らを永寿と名乗り始めた70年代後半に生涯の伴侶となる彫刻家のヴィンチェンツォラグーザと出会います。出会った当初は美術学校の教師と生徒という間柄だった2人の距離が縮まったのは、ラグーザ玉が彫刻家のモデルに指名されたのがきっかけです。
1880年に結婚をすると、2年後に夫婦でイタリアに渡りラグーザ玉はパレルモ大学美術専攻科へ入学します。渡伊から4年経過した1884年に夫であるヴィンチェンツォラグーザが工芸学校を開設すると、妻として夫を支えるために美術教師に就任したのです。教師を務める傍ら作家としても活動を続けたラグーザ玉は、シカゴやモンレアーレの美術展で賞を獲得したことで画家としての評価を高めていきます。夫との死別を機に1920年代後半に帰国をしてからは、画家の活動だけを行い1939年に脳溢血で生涯を終えたのです。代表作とも言われる1912年に発表した春、遺作となった1939年の昇天祭の夜は、国内だけでなく世界でも高く評価されています。
生涯年表
1861年 | 清原定吉の次女として生まれる |
1880年 | 彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザと結婚 |
1882年 | イタリアへ渡りパレルモ大学美術専攻科に入学 |
1884年 | ヴィンチェンツォ・ラグーザが開設した工芸学校の教師に就任 |
1933年 | 夫との死別に伴い甥、娘と共に帰国 |
1939年 | 79歳で死去 |
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ラグーザ玉の絵画を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。イタリアに渡り活躍した女流画家で西洋名はEleonora Ragusa、帰国後も絵画を描き続けたラグーザ玉の絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、ラグーザ玉の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。
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