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【山下清買取】山下清の絵画買取は永寿堂へ
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山下清の絵画を買取りしております。売却をお考えの山下清の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。日本中を放浪し貼り絵やペン画を多く残した画家でテレビドラマにもなり人気の山下清についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
山下清(やました きよし)について
 山下清の経歴
 山下清の主な略歴
 山下清の買取相場
山下清の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

 

山下清(やました きよし)について

山下清は日本の画家です。油彩画や陶器の絵付けなど様々な作品を残しましたが、特に多くの人々の心を惹きつけたのは、色紙をちぎって貼りつけていく色彩豊かな「貼り絵」です。その超絶技巧な貼り絵は、展覧会に多くの人々を集客したほか、日本の洋画家梅原龍三郎氏や安井曾太郎氏などから賞賛されたと言われています。
代表作には、「長岡の花火」(1950年)、「桜島」(1954年)などがあります。

 

山下清の経歴

山下清は1922年(大正11年)3月10日、父大橋清治、母ふじの長男として、現在の東京都台東区に誕生しました。翌年の関東大震災の生家近辺一帯の火災により、新潟県に転居。そして3歳になった山下清は風邪をこじらせ、重度の消化不良で命が危ぶまれる状態にまで陥ったと言われています。その後遺症で言語障害及び知的障害を患いました。
父大橋清治が1932年(昭和7年)に他界後、母ふじは再婚するものの、継父には酒と暴力の問題があったため、清を含む子供3人とふじは東京へ逃れました。この頃から、母ふじの旧姓である山下清と名乗るようになりました。山下清は、病気の後遺症で学校の勉強についていくのに苦労し、また反抗的な態度であったことから、ふじは山下清を知的障害児施設の「八幡学園」へ預けました。
八幡学園での生活の中で「ちぎり紙細工」に出会い、山下清は制作に没頭するようになります。顧問医であった精神病理学者・式場隆三郎が山下清のちぎり紙細工の才能を見出し、指導するようになったことで山下清はより一層その才能を花開かせていきました。
18歳を迎えた山下清は青年期以降、施設から脱走し放浪を繰り返すようになりました。放浪先で目にした各地の光景を貼り絵にし、再び放浪し、気に入った光景を貼り絵にし…というようなことを繰り返していた時期が十年以上も続いていたといいます。
知的障害があった山下清は徴兵検査で兵役免除され、終戦後、ヨーロッパ旅行にも出かけ、水彩画「パリのエッフェル塔」(1961年)などの作品を残しました。
晩年も、「東海道五十三次」の制作のため、精力的にスケッチ旅行に出かけていましたが、1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳で死去しました。

山下清の絵画作品イメージ

 

山下清の主な略歴

1938年(昭和13年) 12月現在の東京都中央区銀座の画廊にて初めての個展開催
1939年(昭和14年) 1月大阪の朝日記念会館ホールで展覧会開催。多くの来場者を集める
1956年(昭和31年) 全国で約130回もの展覧会が開かれ、観客は500万人を超える。東京大丸の「山下清展」には皇太子明仁親王も訪れた

 

山下清の買取相場

山下清の作品は現在でも人気があり、比較的安価なものであっても買取価格は数万円台からと言われています。特に人気の高い貼り絵の場合、1000万円を超える値段がついたこともあると言われています。
査定の際には当然ながら、真作であるかどうかが重要なポイントになります。鑑定書や保証書がない場合は、専門の鑑定会に査定依頼をしてみることを検討してみるのも良いでしょう。

 

山下清の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

山下清の絵画買取りは永寿堂へ山下清の絵画を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。日本中を放浪し貼り絵やペン画を多く残した画家でテレビドラマにもなり人気の山下清が描いた絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、山下清の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

 

骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
・LINE ID:@721crjcp

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