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【辰野登恵子買取】辰野登恵子の絵画を買取します
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辰野登恵子の絵画を買取りしております。売却をお考えの辰野登恵子の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。当時の史上最年少での東京国立近代美術館で個展を開催するなど幾何学的な模様や独創的な表現で人々を魅了した画家の辰野登恵子についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
辰野登恵子について
 辰野登恵子の主な略歴
 辰野登恵子の作品制作に影響を及ぼしたポスト・ミニマリズムに関する知識
 辰野登恵子の買取相場
辰野登恵子の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

 

辰野登恵子について

辰野登恵子は、1950年1月13日に長野県岡谷市で誕生しました。2歳年上の姉と共に、幼少時からバレエやピアノ、絵画を習い、芸術文化に触れられる環境で育ちました。辰野登恵子が現代美術に対して興味を抱いたのは、長野県諏訪二葉高等学校に在学中のことです。高校卒業後の1968年、東京藝術大学美術学部に進学し、絵画科で油画を専攻します。大学在学中に、同窓生の柴田敏雄や鎌谷伸一と「コスモス・ファクトリー」を結成し、当時話題を呼んでいた写真製版によるシルクスクリーンの制作を試みました。1970年には、村松画廊において初の展覧会を開催するなど、在学中から現代アートの才能を認められ、注目されました。

辰野登恵子に転機が訪れたのは、1980年以降のことです。従来の版画作品以外に、大学で専攻した油彩画の制作に力を入れるようになり、油絵具特有の質感を巧みに生かした作品を多数生み出しました。1990年代前半には、第22回サンパウロ・ビエンナーレをはじめ、国際的な展覧会にも精力的に参加して、活躍の場を広げます。1995年には、史上最年少(当時)の若干45歳で、東京国立近代美術館において個展を開催します。

辰野登恵子は、2003年に多摩美術大学客員教授、2004年には同大学教授に就任して、後進の育成にも努めました。2011年と2012年には、パリのリトグラフ工房「Idem Paris」において、連作リトグラフの制作に取り組むなど、晩年になっても、制作意欲が衰えることはありませんでした。2014年9月29日に、転移性肝癌のため64歳で逝去しました。

辰野登恵子の絵画イメージ

 

辰野登恵子の主な略歴

1995年 「辰野登恵子 1986-1995」展開催 (於・東京国立近代美術館)
1996年 第46回芸術選奨文部大臣新人賞受賞
2004年 多摩美術大学教授に就任
2013年 第54回毎日芸術賞受賞

 

辰野登恵子の作品制作に影響を及ぼしたポスト・ミニマリズムに関する知識

ポスト・ミニマリズムは、彫刻において1960年代末期以降に現れた動向を指します。無表情で色彩的なアピールが欠如したミニマリズムに対する反動とも言われるポスト・ミニマリズムでは、身体的感覚を巧みに生かした表現が好んで用いられました。
辰野登恵子の作品には、初期の版画作品において特にポスト・ミニマリズムの影響が大きいのが特徴です。1980年代以降の油彩画の表現においても、ポスト・ミニマリズムの思想が反映されています。

 

辰野登恵子の買取相場

辰野登恵子の買取り価格は数万円~数十万円と幅広く、作品の出来やサイズ・種類・いつの時代の作品かなどによって、査定額に差が生じます。特に、1980年代以降に制作された油彩画の人気が高く、なかには100万円以上の買取金額がつく作品もあります。版画作品に関しては、油彩画よりは、比較的落ち着いた価格帯の数万円で取り引きされることが多いです。

 

辰野登恵子の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

絵画や骨董品の買取りは永寿堂へ辰野登恵子の絵画を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。当時の史上最年少での東京国立近代美術館で個展を開催するなど幾何学的な模様や独創的な表現で人々を魅了した画家の辰野登恵子が描いた絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、辰野登恵子の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

 

骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
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